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2012.11.15
明け方寝苦しくて目が覚めてしまった。
携帯を見ると、まだ3時半。 起きるには早すぎるから、寝なきゃ寝なきゃと思えば思うほど頭が冴えてくる。
そうすると色々なことが頭をよぎって、収集がつかなくなってきた。
夜中に目が覚めて考えることは大抵の場合いいことではない。

そういえば喪中はがきが来ていた。
9月4日に亡くなった同級生の家族の名前が連なっている。ご主人と娘二人と息子。
ツライな、また思い出してしまったよ。妻A子が52歳で…って書いてある。そうだよね、同級生だから数えで52歳かぁ。若過ぎるな。

私にとってA子の死はものすごくショックで、1ヶ月いやもっとかな、ずっと頭から離れなかった。
私はとっくの昔に両親をたて続けに亡くしているが、親の死とは全然違う苦しさだ。
最近、やっと頭に浮かんで来なくなってきたけれど、A子が亡くなったあとしばらくは、自分の楽しさが罪悪のようだった。あぁ、A子もまだまだ楽しいことが沢山あっただろうに。

A子の死を知ったとき、すぐに頭をよぎったのは、幸せな人生だったのだろうか、苦労していたのではないだろうか…。
A子とは小学校こそ違えど、同じ町で生まれ育ち、中学校高校と6年間一緒に過ごした。
A子はとても賢くて努力家で芯の強い女性だった。私達は学校の成績をいつも二人で競っていて、私が1番をとると、あからさまに「次は絶対負けない!」と明言されたもので、そういう発言が出来ない私はA子をある意味尊敬もしていたし、私にとって特別な存在だった。 当然高校も二人揃って地元の進学校へ進み、地元と言ってもローカル線で1時間以上かかる学校だったから、行きも帰りも常に一緒の日々。ライバルは裏を返せば心の友となる。
ただ高校卒業後の人生はまったく別々。
A子は結婚相手に猛アタックをし、地元の大きな商家に嫁いだのだが、結婚相手の父母はおろか祖父母、叔母だか叔父だかと、兄弟も同居の家の嫁となった。私は自分の生家が商売をしていたので、商売人の苦労は母を見て嫌というほど感じていた。私の家には母からすると姑はいなかったが、家の周りは親戚ばかりだったから、母はとても嫌がっていた。 私の母は、娘の私に対して、遠くに嫁に行け、サラリーマンに嫁げと常に言っていた。そのとおりになった私は、A子から比べたらかなりお気楽な人生を歩んできた。

だからこそ嫁に行ってからのA子は幸せだったのだろうか、苦労が多く無理がたたったのではないだろうか、などと考えてしまった。 
あぁ、結婚してからももっと会って話をしておけばよかった、色々相談にも乗れたんじゃないだろうか…。
子どもの年頃も我が家と同じくらいで、下の男子はまだ高校生。死にたくなかったろうな。
後悔ばかりが押し寄せてくるよ。

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